自宅やオフィスなどに設置されたサーバーからボトルに入った水を飲む、というと以前はテレビドラマなどで見かけた光景だが、近年では一般家庭でも見かける機会が増えた。矢野経済研究所の調査によると、2000年に入りボトルウォーター市場は徐々に拡大しており、04年~09年の間で市場規模は4.6倍の成長を遂げている。急速な市場拡大の要因として同調査では①重たい水を店舗から運ばずに自宅まで配送する②サーバーを使うことで冷水と温水を飲み分けられる③日本の住環境に適したスリムなサーバーが製造されている──といった点を挙げている。
もっとも、拡大の背景にはこうした利便性のほかに、商品がトレンドとして浸透し始めたということもあるようだ。ボトルウォーターの宅配事業者によると「2年ほど前はまだ消費者の間でも“贅沢品”というイメージが強かったですが、1年前ぐらいから徐々に意識が変化してきています」と指摘する。今では、ボトルサーバーを家庭に設置することが、ユーザーにとって1つのステータスになっているという。関連企業約450社からなる日本ボトルウォーター協会によると、現在、同市場に参入している企業は800社以上にのぼるとしている。消費者の層は20代後半~40代前半で、小学生から中学生までの子供を持つ家庭が最も多いようだ。また、乳幼児を抱える家庭での需要も高く、企業によっては妊産婦向けの特別プランを設置するなどして当該層の取り込みを図る動きも生まれている。そして今回の東日本大震災の影響で、一気に注目が集まった。実際、各社ともに大幅に受注が増加し、“特需”の様相を呈しているようだ。そこで、急激な成長を続けるボトルウォーター業界の現状を見ていく。
宣伝・販促を強化し妊産婦に訴求
ボトルウォーター業界で覇権を競っているのが、アクアクララとナックの2社だ。両社で市場の40%強のシェアを持つと言われている。宣伝・販促に積極的な投資を行っているアクアクララでは、前期(2010年9月期)に対前年比で2倍の7億円弱を投じた。これは売り上げの13%に相当する。イメージキャラクターとしてタレントの谷原章介さんを起用し、初めて有名芸能人を使ったCMを全国規模で展開。「アクアクララ」ブランドの認知向上に注力した。全国に67の水製造プラントを持ち、約80のFC店が水の宅配を行う同社では、一般世帯向けが8割以上を占める。同社によると、水という商材の特質上、結婚や出産、引っ越しなど家族環境や住環境が変化した際に会員の申し込みをするケースが多いという。特に、妊産婦は体に良いものを摂取しようという意欲が強いと判断した同社は、「ベビアクアプラン」という妊産婦向けの特別プランを導入し、当該層に対して積極的にアピール。その一環でベビー用品を扱うコンビと提携し、コンビ名義でアクアクララの商品を販売した。こうした施策が奏功し、前期は会員の純増数で約4万5000軒に達し、妊産婦世帯の新規申し込みは約1万軒となった。FC本部の売上高は53億8000万円で過去最高を記録した。同社ではサーバーでもオリジナル路線を追求。昨年にはウォルトディズニーとライセンス契約を結び、サーバーにディズニーのデザインを入れる許諾を得た。また、今年の2月には湯まわり設備機器のノーリツと共同開発した新型サーバーを投入。省エネ機能を備え、8色のカラーバリエーションを取りそろえた。
6億円投じ「安心・安全」を強化
一方のナックは、1971年にダスキンの加盟店として事業を始め、2002年に新たな事業としてボトルウォーター「クリクラ」の取り扱いをスタートした。東証1部上場の同社は、ハウスメーカー「レオハウス」の住宅事業が売上高全体の57.5%を占め、ボトルウォーター事業は15.1%と構成比で見ると小さい(10年3月期実績)。しかし、増減率では26.7%増と最も成長している事業だ。ボトルウォーター事業では10年に年間で1000万本の「クリクラ」を製造し、過去最多の製造本数を記録した。10年12月末までの出荷数は33万世帯に達しており、同社では13年までに100万世帯への出荷を目指している。販売代理店の総数も400社以上に上り、10年は前年比77%増の伸びとなった。宅配式のウォーターボトル市場全体が急成長していることから多くの企業が事業機会と捉えていることが背景にある。ナックによると、代理店として参入する企業はガス・ガソリン・石油などを扱う企業が多いという。というのも既存事業の販売網を持ちつつ、本業がおぼつかなくなったことから、新規ビジネスとして水の取り扱いを始めるといった事情があるようだ。ナックとしても直営店が全国をカバーする。そこでは、これまでダスキンの販売事業を行う中で培ってきたルートセールスのノウハウを活かし、既存会員のケアや新規会員の取り込みを図っている。もともとダスキン販売事業の支店やレオハウスの支店などを全国に持っているため、地方に進出する際にも比較的有利と言える。会員宅への配送は、週1度か2週間に1度程度。顧客が商品の追加を求めるタイミングを見計らって注文が入る前に配達を行う。配送は外部の運送会社に頼らずに専門スタッフがフェイス・トゥ・フェイスで接客に当たる。自前の配送網を持っていることが、こうした緻密な接客を可能にしているわけだ。カバーしきれない部分は、地元の代理店が補完するという格好で、新規に参入する代理店にはナックのノウハウを伝授する。このようにドアツー営業により、各地で密に顧客と接していくのが強みだ。同社の特徴として「本質の部分で勝負する」(広報)とするように、サーバーにおいてもキャラクターを使用したり、デザインで訴求するといったことはせずにシンプルなものを提供する。その一方で4月15日には、6億円を投じてウォーターボトル業界では初となる研究開発の専門施設「クリクラ中央研究所」を東京都町田市に稼働した。施設内には「ボトル検査室」「サーバー検査室」など4つの施設を設け、品質向上につなげる狙いで、「クリクラ」ブランドの強化を図っていく。同社ではこれまでも、サーバーメンテナンスの義務化や厚生労働省のHACCP(総合衛生管理製造過程)認証取得、エコマークの取得などの取り組みを行っており、今回の「クリクラ中央研究所」の開設も同じく「安心・安全」面の強化としている。「メーカーとして入口から出口まで責任を持つ」(広報)というわけだ。
普及する「ワンウェイ」方式
上記の2社はともに「ガロンボトル」と呼ばれるボトルを採用している。使い終わったボトルを回収して、リターナブル方式で再利用するのが特徴だ。運営に当たっては、各家庭や企業などに個別配送するため、展開エリアをカバーできる配送網を持っているかどうかが事業に着手する際の大きな決め手となる。加えて、配送用の車両や人材も自社で賄うため、一定の資本力がある企業でなければ展開するのは難しい。
一方で、「ワンウェイ」と呼ばれる販売手法がここ2、3年で急速に普及している。特徴としては、水の生産地からユーザーのもとへ直接送るというもので、配送には外部の物流事業者に委託する。一度送ったボトルはユーザーが処分するため回収の手間も掛からない。簡単に言うと、受注を取ってどんどん送るという仕組みのため、倉庫、車両、人材を最小限に抑えられる。そのため、大きな資本力のない企業でも容易に参入できるという側面がある。とはいえ、関係者によると「ワンウェイで参入する企業は増えているが、倒産するところも多い」という。つまり、事業を始めるのは簡単だが、継続は難しいというわけだ。そうした中、ボトル返却が不要の「ワンウェイ」方式で、着実に成長しているウォーターダイレクトの取り組みを見てみる。
物流企業を使って全国に発送
2006年設立のウォーターダイレクトは富士山の銘水「クリティア」ブランドで商品を展開する。3月末時点でユーザー数は13万世帯で、関東圏が最も多い。乳幼児を抱えるファミリー層や、重い水の持ち運びが大変というシニア層などが主要な購入層だ。9割が一般家庭で、残りはオフィスやクリニックなどに提供している。同社が富士吉田に構える工場では、地下203メートルから天然水を汲み上げクリーンルーム内で採水からボトルへの充填までを外気に触れずに行う。熱処理をしないため水の中に含まれるガスが抜けずに香りがしっかり残るという。このように採水地でボトルに詰め、非加熱処理の“生”の水が「クリティア」の特徴だ。使用するボトルも、中の水が減っていくにつれ真空を保ったまま小さくなっていくため、水の鮮度が保たれる。PET樹脂製のためビニール製のボトルのような臭い移りもない。商品の作り置きはせず、生産から最短2日で宅配便を使って顧客のもとへ届けられる。送ったボトルは回収しないので、再利用のための洗浄や保管の必要がない。サーバーは海外からの輸入物だが、こちらも倉庫がある富士吉田から直送している。同社がボトルウォーター事業に着手したきっかけとして、富士山麓に良い水源が見つかったこととワンウェイという流通方式が大きい。「ワンウェイ以外の方法だとどうしてもエリアが限定されてしまいます」(管理部)と指摘するように、宅配事業者を使うことで全国どこへでも発送できるからだ。ガロンボトルであれば、エリアを広げる際には各地に流通ネットワークを有しているか、あるいは地元企業と手を組みことが必須になる。つまり「エリア密着型」の流通形態になるわけだが、ワンウェイであれば日本中どこへでも宅配業者が商品を届けてくれる。販売網は代理店を中心とした販売チャネルに加え、百貨店やショッピングセンターなど全国約150カ所で毎月合計500回実演販売を行っている。同社によると商品の購入理由として最も多いのが、実際に水を飲んで味に納得したからというケースが最も多いという。そのため、各地でデモ販売を積極的に実施し、同社の水を“体験”する機会を設けているというわけだ。
注文殺到で電話・ウェブがパンク
今回の東日本大震災では福島第1原子力発電所の事故により、放射性物質が漏れ出した影響でボトルウォーターの需要が急激に高まった。両社の受注件数も大幅な伸びを示したようだ。アクアクララでは地震があった3月11日以降、急速に受注が増えた。既存会員では、12リットル入りレギュラーボトルで1カ月3本程度が平均的な消費量だが、震災後は10~20本の受注が相次いだ。新規会員も爆発的に増加。地震翌日から通常の倍に当たる申し込みがあった。3月19日には1都5県の水道水から放射性物質が検出され、新規申し込みが通常の10倍に跳ね上がった。さらに23日に東京都で乳児の取水制限が通達されたことを受け、1日で1カ月分の申込数にまで膨れ上がった。同社の直営店で、東京23区のエリアを担当するアクアクララレモンには申し込みや問い合わせの電話が殺到。1日平均500~600本の入電に対し、取水制限翌日の24日には通常の120倍にあたる7万4000本の入電数にまで増加した。
コールセンターも同様で、多い時期で1日に5000本程度の問い合わせが入ってきた。これらすべてに対応することは不可能で、消費者はどこにかけてもつながらない状態となった。インターネットにもアクセスが集中したため、ウェブサーバーが一時的にダウン。そして、近隣の住人が直接同社に申し込みにやって来るというパニック状態になった。エリア別の新規申し込みは関東圏に集中している。軒数も昨年3月時点では全国で約4000軒だったのに対し、今年は推計で5倍にあたる2万軒近くにのぼるという。こうした爆発的な需要増の背景として、乳児を抱える消費者が子供に飲ませる水がスーパーなどの店頭では手に入らないことから、調べたところボトルウォーターに辿り着いたとみられる。中でもアクアクララはCM放映など宣伝・販促を強化して認知を高めていたことも、集中的な問い合わせの一因となったようだ。
一方、ナックでも震災による受注増は同様で、3月23日の時点では1日に5万件の新規申し込みがあった。ピーク時の24日にはコールセンターのアクセス数が1時間で1万5000件、1日で10万件以上に達した。通常の新規問い合わせ件数が1日1500件であるのに比べると67倍の伸び率だ。さらにホームページ経由の申し込みも急増し、23日の新規申し込みは1万件以上で、24日以降はさらに倍以上となったもようだ。ウォーターダイレクトでは水需要の高まりを受け、ワンウェイならではの施策を展開。緊急時の臨時措置として、ボトルだけの販売を開始。通常は、サーバーとセットでの提供だが、要望があればボトルだけの提供も行うというもので、その際の飲み方については、動画配信サイト「ユーチューブ」を通じて紹介した。これについて同社では「ワンウェイの強みが出たのかなと思います」(管理部)とする。回収の必要がなく全国に“送りっぱなし”でいいため、こうしたイレギュラーな施策も可能となったようだ。
“特需”が競争激化の要因に?
皮肉にも、今回の東日本大震災を契機にボトルウォーターの注目度が高まった結果、商品として一定の認知を拡大したと言えるのかもしれない。同時に、水道水に対して消費者に芽生えた不安感根深く、提供する企業でも「関東近郊では水道水以外の水の需要は当分の間、高止まりするのではないでしょうか」(アクアクララ経営戦略室)とみている。これを契機に「家にウォーターサーバーがあるのが当たり前」というように消費者の意識が変化していくことも考えられる。「ワンウェイ」の普及などで参入企業が増加傾向にある中での今回の“特需”は、さらなる競争激化を招く要因になりかねない。今のところ、高止まりする需要に対応しようと商品の供給に力を入れるが、今回獲得した新規客をどうリピートにつなげるか、各社の“次の一手”も注目となりそうだ。