2025年10月に発生したランサムウェア攻撃によって数カ月にわたって受注・出荷の制限を余儀なくされたことで、大きく売上高を落としたアスクル。本格復旧がなった今年に入ってからもランサムウェア攻撃の前のような成長軌道にはまだ戻せていない。難しい局面の中、8月6日付の社長人事で新たな代表取締役社長CEOに就任し、同社の舵取りを担うことになった成松岳志氏が目指すアスクルのこれからとは――。
最適な“伝え方”の方法をAIでパーソナライズ
物流と商品開発力がコアバリュー
――2025年10月に発生したランサムウェア攻撃によって一定期間、事実上の休業業態となりました。その間に競合に顧客が流れるなどで事業再開以降も足元の業績をみる限り、かつてのような成長軌道に戻せていないように見えます。まず、アスクルの強みをどう考えていますか。
1つは物流サービスの品質。もう一つがオリジナル商品を創出できるという商品開発力。この2つが当社のコアバリューであることはこれまでもそうだったし、今も変わっていませんが、ランサムウェア攻撃から復旧していくにあたって改めて再認識しました。
物流サービスに関してはランサムウェア攻撃を受けた後に復旧し、離れてしまったお客様がもう一度、当社の利用を再開して頂くタイミングや理由を分析したのですが、やはり再開にあたって最も理由として大きかったのは物流サービスでした。特に翌日配送を再び開始した後は多くのお客様に利用を再開頂きました。これまで少し勘違いしていました。物流サービスというものは少しでも早いことがバリューだと思っており、翌日配送はもちろん、当日配送も行ってきました。それが今回、お客様に当社のサービスの利用を再開頂いた理由を伺うと当日に商品が届くということよりも「明日、絶対になど商品が届く」というコミットメントの方が重要だったということが分かりました。納期のほか、お届けの仕方など、toCの配送サービスのバリューとは異なるtoBならではの品質をお客様は求められており、これを提供できることが当社の大きなバリューでした。
また、オリジナル商品の開発力についてですが、当社はBtoB通販サービスでは現状、売り上げに占めるオリジナル商品比率が40%弱と流通業界の中でもかなりオリジナル商品比率が高いです。当社のような流通業はお客様に近いために、お客様のデマンドや課題、ニーズを把握して一般的なメーカーでは作りにくい商品を作っていくことができることが強みです。そのため、当社はこれまで「仕事の現場」に向き合い続け、ひたすらオリジナル商品を作り続けてきました。この「向き合ってきた経験」が競争力になっていると思います。ランサムウェア攻撃からの復旧の際にも例えばコピー用紙について、ある事業者ではアスクル以外のものを使って提案書を作った際、黄色味がかっていて提案の質が悪くなったとか、質が高いアスクルのコピー用紙でないとレセプト(診療報酬明細書)に使用できないと言われる医療施設など「アスクルさん、早くコピー用紙を買えるようにしてくれ」と多くのお客様からお声を頂きました。この当社が行ってきた質の高いオリジナル商品はやはりお客様に求められており、当社の強みとして自信を持つべきポイントだということを再確認しました。
デジタルだけでなくフィジカルも
――課題についてはどう認識していますか。
当社がこれから強化しなければいけないことはセールスとマーケティングの再構築です。これまで当社がお客様に商品やサービスを提案していく際には、特にここ7〜8年は〝デジタル〞に寄っていました。もっと言えば、ウェブサイト上でお客様にコミュニケーションをしていくことに非常にフォーカスしていました。
ただ、今回、ランサムウェア攻撃があり、復旧した際に、お客様に再開を伝える時に紙媒体であったり、電話やメールといったインサイドセールス、エージェント(販売代理店)の営業によるフィールドセールスなどオフラインのチャネルを使いました。ランサムウェア攻撃後、休止したサイトで再開を告知しても、そもそもお客様はそれまで閉じていたサイトを見に行かないでしょうし、他の方法で再開したことをお伝えする必要がありました。この〝伝え方〞についてはAI(人工知能)を活用しながらお客様によっては紙媒体、電話で「〇〇を訴求する」いったようにパーソナライズした方法で行ったのですが、これが非常にうまくいきました。これによって効果的にお客様に再開したことをお伝えでき、売り上げもアップリフトできました。
これを踏まえて、アスクルのコアバリューであるオリジナル商品は実際にはその「オリジナル商品という束」がお客様にとって魅力があるものではないということが分かりました。このお客様にとって魅力がある商品はこちら、別のお客様に必要な商品はまったく別のこちら、というふうに商品のニーズはそれぞれ異なります。異なるニーズをいかに早くそれぞれのお客様に適した形でマーケティング、営業で提案できるかがポイントになるわけです。これをしっかり仕組みとして作っていくということが重要です。
この際、お客様に伝達する手段としてデジタルだけに寄せる必要はありません。フィジカルな手段も使っていきます。あるお客様に対して、どのような商品や提案を行っていくべきかなどの計画立案はこれまで以上に徹底的にAIとデータをもとに行っていこうと思っていますが、アウトプットについては通販サイトあるいはメールマガジンということだけではなく、紙媒体や電話、FAXといったオフラインチャネルで行った方がお客様に提案が届きやすいこともあります。むしろ今後はフィジカル的なものを強めるべきだと思っています。
分散発注はチャンス
――現状の業績をどう見ていますか。
月次の売上高も前年の90%前後と確かに(売り上げ規模は以前の水準に)もう一歩、届いていません。今期(2027年5月)は少なくとも(ランサムウェア発生前の)一昨年度の売上水準までは戻すという計画を掲げています。そうするためには月次売上高をもう数%程度引き上げねばなりません。(売り上げが戻らない)理由についてはいくつかの要因がありますが、一番大きなところは「分散発注」という文化が今回の当社のランサムウェア被害を機に生まれたことだと考えています。
実は本格再開後、お客様の大半はすでに戻ってきて頂いています。ただ、一方でもともと当社で購入頂いていた商品をすべて購入頂けているわけではありません。ここが(売り上げが)戻らない大きな要素になっています。当社がランサムウェア被害で一定期間、受注・発送を停止したことで、これまで当社で多くの商品を購入頂いていたお客様は当然、他社で必要な商品を購入することになりました。当社が復旧した後も他社で商品を購入することを継続されるという行動はリスク分散という点からも理解しておりまして、否定するものではありません。
では、そうした中で当社で様々な商品を買って頂ける理由をどれだけ作っていけるかが重要です。当社のマーケットシェアは高いとはいえ、全員がシェアウォレット(※顧客一人が特定のカテゴリーに使う全支出のうち自社商品が占める割合)100%のお客様というわけではありません。当社での購買品目が限定的なお客様のシェアウォレットを上げていくための施策を行っていきます。
――具体的には。
大きく2つあります。まずは先ほど課題のところでお話をしたようにAIを活用したセールスマネージメントを推進していくことです。もう1つは分散発注というチャンスを活かして新しいお客様を獲得する施策を進めることです。
分散発注という文化が生まれたことで当社にとってはプラスの側面もあります。「1社で商品を購入するというリスク」は当社以外でも同様です。競合他社でほとんどの商品を購入していた事業者がそうしたリスクの観点から分散発注先としてアスクルを選んで頂くということも実際に起きています。特に中堅大手事業者でその傾向が強いです。
アスクルがまた事業を停止するのではないかという不安感については当社のセキュリティ体制強化の取り組みや同様の事態があった場合にどう対処するかなどを含めてお客様には丁寧に説明させて頂いたことで、そうした部分は概ね理解を得られたと考えています。なので、個社アスクルに対してというよりもやはり一社集中購買をリスクと捉え、見直しを図っている事業者が当社のもともとのお客様も、そして、まだ当社を利用頂けていないお客様でも増えています。これをチャンスと捉えて、中堅大手事業者への攻勢を強めて、残りのピース(売り上げの目減り分)を埋めていきたいです。
中期経営計画は変えない BeyondRetail進める
業務プロセスをAIに置き換え
――実際、今期の業績は前々期並みに回復できそうですか。
今のところ計画値比でオントラックになる見込みです。ただし、ここから先、さらに成長率を上げていく計画を立てています。特に下期(12〜5月)の成長率の計画を達成するためには先ほど申し上げたAIを活用したお客様ごとの効果的な提案によるアップサイド(※業績の上振れ)をどれだけ早く事業実装できるかが非常に重要です。すでに一部分はできているのですが、完全なる仕組みとして、量と速度を伴ってやっていけるための準備を今、まさに行っているところです。
――「完全なる仕組み」とは。
先ほど申し上げた各提案のチャンネルの中の業務プロセスを完全にAI駆動型に置き換えていくことです。例えばあるお客様に、いつ、何を、どういう理由で提案するかのようなことをAIが考えることなどはすでにできています。これに加えて、アクションまでもAI駆動ベースに変えていきます。お客様に営業を行う場合に当社の営業員が直接行くのか、エージェントが伺うのか、その際のトークスクリプトをどうするのか、提案書はどうするのかというところまでAI駆動ベースに置き換えようと進めています。
要はこれまではAIが計画の内容は出せますが、それをどう提案するのかまではできておらず、それ以降は個々人の営業員の知見に依存していたわけです。なので、提案自体の質のばらつきもそうですし、やはり人が提案を考えるためにその「量」が足りていなかったわけです。営業に行く前に様々な提案を準備でき、お客様に提案する中身を1つ1つAI駆動ベースのものに置き換えていくことをこの上期(6〜11月)までに集中して走らせてきました。
――AIへの移行は順調ですか。
AIが計画フェーズを人間よりも大量かつ精度高く吐き出せるようになったのはここ8カ月くらいからです。急速に事業実装できる段階のレベルに来たことは認識をしていたので、これを事業の後工程の部分、実際に人間が動くプロセスまでをAI駆動ベースに置き換えていくことを今まさにやっているところです。AIが計画フェーズから実行フェーズ、その後に検証を行うところまでをループさせていく工程を一気通貫でつなげていきたいと考えています。現状の課題としてはAI駆動に置き換えていく中で、どこかのプロセスがAIの速度に追い付けずに、そこがボトルネックになってしまうということがあることです。一カ所でも詰まると提案量が下がってしまいます。詰まってしまう部分も含めて突破することが重要だと思っています。
企業の労働力不足を解決したい
――2025年7月に最終年度を2029年5月期とする4カ年の新中期経営計画を公表しました。ランサムウェア攻撃前に発表した計画でしたが、変更はありませんか。
前中計と比べて新中計で大きく変えた点はいくつかありますが、1つはターゲットを変えたことです。前中計は医療・介護と製造業などを戦略ターゲットとしていました。その製造業に価値提供を合わせていくために商品をロングテール戦略に振っていきました。これを行ったことで製造業のお客様が新たにアスクルをご利用頂くということもありましたが、製造業の現場で使われるような梱包や物流などの作業に必要な汎用品は実は飲食店のバックヤードで使われていたり、宿泊施設のキッチンで使われたりなど別業態のお客様にもかなりニーズがあることが分かりました。
さらに調査した結果、当社にとってポテンシャルが大きく、よりお客様への利便性を上げるべきはどちらかというと、対人サービス業種を展開する事業所であろうということがわかり、メインターゲットを変更することにしました。これに付随してロングテールで遍く広く商品を揃えていくよりも、対人サービス業のお客様まで必要な商品を揃えていくというように商品戦略を変えました。合わせて短期的には大企業、中堅企業への攻勢を特に強めていきます。
もう1点は「BeyondRetai(lビヨンドリテール)」という従来の物販(小売)中心のビジネスモデルから顧客が抱える経営課題の解決や新たな価値提供へと領域を広げていくということを新たに掲げています。2035年までに既存のEコマース事業以外の新規事業領域で総EBITDAの半分を稼ぎ出す規模まで拡大させるということを宣言しており、この旗を降ろすつもりは全くありません。事業ポートフォリオを転換し、Eコマースではない領域に広げていくという思いは非常に強く、これは実行していきたいと考えています。
――新規事業領域とはどのようなものですか。
前提として当社のお客様がベースになります。当社のサービスをご利用頂いている全国津々浦々の中小事業者を含めた企業のお客様にとって最も大きな課題となることの1つは労働力不足でしょう。この労働力不足を担保するために必要なマーケットの中から参入していこうと考えています。
とは言え、ストレートに人材派遣業や人材紹介業を行おうとは思っていません。別の切り口で労働力を担保してできるやり方を考えています。具体的なことはまだ言えませんが、例えば人の労働力の代替として「フィジカルAI」という領域もあるでしょうし、離職防止に役立つ領域、新しい労働力という観点で考えれば、例えば外国人人材や介護人材、障がい者人材をもっと活躍できるような仕組みを作っていく領域など労働力のパイが増えるようなソリューションはすべて新規事業のターゲットと考えています。
数字の目標の旗降ろさず
――新中計では2029年5月期までに連結売上高が最大で6000億円、営業利益率5.0%を目指すという業績目標を掲げています。達成できますか。
2029年5月期には売上高が5400〜6000億円、営業利益率は3.7〜5.0%、ROEが15〜20%を掲げていますが、中計で掲げた数字的な目標の旗を降ろすつもりもありません。もちろん、ランサムウェア攻撃の影響で計画に遅れが出ていることは否めないため、まずは売上高5400億円、営業利益率3.7%、ROE20%というコミットメントラインを堅守したいです。その上でこの後の展開次第で売上高6000億円、営業利益率5%というラインを睨んでいきたいと思っています。
ビジネスプロセス内の無用なルールAIで見直す
ゾンビ業務は一掃したい
――8月6日に代表取締役社長CEOに就任しました。意気込みは。
着任してからは腹を括って臨んでおり、今はもうやるだけだと思っています。ただ、最初に社長就任の打診を前社長から受けた2026年4月に段階ではまさか自分が、とは正直思いました。
指名報酬委員会でサクセッションプラン(後継者育成計画)に基づいて次世代経営人材の育成を推進していたことは当然知ってはいましたが、その工程については当事者になるメンバーが詳細を知ることはないため、前社長から「実は…」と聞いた時はかなり驚きました。
サクセッションプランでは複数年にわたって次世代の後継者候補にどのような経験をさせるべきかなどの計画を立てて進めており、もちろん私は知りませんでしたが、長く携わった個人向け日用品通販「LOHACO」の黒字化にメドが付いたタイミングで当社のコアバリューである物流業務の責任者を担当させてもらったり、また、新中計の作成・推進を担う役目を頂き、その骨子などを前社長と2人でこんこんと話し合いながら作っていくなど後から思えばサクセッションプランの一環だったと思いますが、様々な経験をさせて頂きました。そしてランサムウェア攻撃からの復旧を経て、もう一度再成長と新中計の実現のために舵を切り直していくという一区切りのタイミングもあって今回、社長に就任することになりました。
――若い層の獲得は大事です。
グループ全体の視点で見ると、ウィゴーは10代というエントリーの年齢を人数ベースでもかなり獲得できている強みがあるので、その先に続くコンテンツとして何が提案できるのかを、グループとして考えないといけませんし、ウィゴー単体としても中高生以降のブランディング、コンテンツ含めて強化する必要があります。これまでの成果としては、ウィゴーは独自の会員プログラムを持っていて、店舗数も全国に200弱あって、売上高における会員の構成比率がかなり上がってきています。店舗もECも既存顧客の購入が2ケタ以上伸びていて、獲得から継続購入までの施策が奏功しています。地道な取り組みですが、店頭で会員獲得に向けたアプリインストールの声がけを徹底しています。
――今期、さらに強化することは。
データ関連では、9月頃にデータ基盤をリニューアルする予定です。5~6年前、「オンワード・クローゼット」をリプレイスしたときにデータ基盤も刷新し、お客様の情報を一元管理できるようにし、成果がありましたが、データを細かく使うという点では十分ではなかったです。というのも、SQLなど専門的なコードを書いてデータを抽出する必要があり、使いこなすのが難しいです。次のデータ基盤は自然言語で調べることができるので、デジタル部門のスタッフだけでなく、MD担当者など幅広いスタッフが使えるようになります。また、エージェンティックコマースの可能性について、サイト内で買い物のアドバイスを行うのは、従来はチャットでしたが、AIエージェントとして実装したらどんなものができあがるかというチャレンジもしていきたいですね。
あとは、実店舗とECは互いに補完し合う関係なので、クロスユースの割合は重視しています。リアルとECのクロスユースだけでなく、グループの経済圏にはさまざまなサービス、コンテンツがあるので、幅広い意味でのクロスユースを促進していきたいです。
成松岳志(なりまつ・たけし)氏
2001年3月に慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、同4月に東海銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。07年3月にアスクルに入社後はBtoCカンパニーEC店舗運営&ビッグデータ統括部長、FMCG/日用品事業部長、デジタルマーケティング統括部長、ビジネスマネジメント&アナリティクス統括部長を経て、22年5月から執行役員LOHACO事業本部長に、23年3月に執行役員ロジスティクス本部長、同7月に物流子会社のASKULLOGISTの取締役、25年5月に執行役員事業戦略本部長に就任。26年8月4日に代表取締役社長CEOに就任した。1979年2月14日生まれ。東京都出身。
◇ 取材後メモ
ランサムウェア攻撃による一定期間の事業の休止や制限で機会損失を含めて多額の被害を被ったアスクル。事業の本格再開後には大規模なセールなども行いましたが、なかなか以前のような成長軌道に戻せていません。そうした難しい局面で経営のバトンを引き継ぐことになった成松氏。同氏は先のランサムウェア攻撃によるシステム障害からの復旧に際し、中心となって活躍したことはもちろん、2017年に発生した当時、「LOHACO」のメイン拠点だった埼玉・三芳の物流拠点の火災後に落ち込んだLOHACO事業の復旧とその後のLOHACO事業黒字化を主導するなど危機からの復活に確かな実績や手腕を持っていると言えます。成松氏の手腕で再びアスクルを成長軌道に乗せることができるのか。今後が注目されそうです。