未知のところに挑戦するのは面白い 伊藤雄喜●キリン堂 新事業開発部・通販ネットビジネス 部長

ドラッグストアチェーンを展開するキリン堂の中国越境ECが注目を集めている。2015年11月11日の「独身の日」には「天猫国際(Tモールグローバル)」を通じて4.5億円を売り上げた。中国展開に苦戦する企業も多いなか、中国越境ECで成功を勝ち取るための極意はどこにあるのだろうか。国内ネット販売のテコ入れから始まり、中国への挑戦と成功と至る、キリン堂のこれまでの道のりとは。

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現場一 筋の人間がECの部署に着任

着任後すぐに品ぞろえ拡充に動く

――まずはネット販売に携わることになった経緯について教えてください。

私は2011年の2月16日に今のポジションに着任したのですが、ITに関してはまったく分かりませんでした。とういのもキリン堂に22年間勤めていますが、社員で、店長になり、ブロック長から、エリアマネージャーと、完全に現場の人間でした。その後現場を移動し、営業企画という新店立ち上げや店舗の改装、チラシの作成などを行う部署がありますが、そこで室長を1年程させてもらっていた頃、当時の社長(現会長)が「これからはネットや」と、新しい部署を立ち上げるので部長として行って来いと言われたのが始まりです。

――当時の通販の状況は。

その当時の通販は、キリン堂が以前買収したドラッグストア「サーバ」のメンバーが楽天市場と自社通販サイトの2つのチャネルを運営しており、規模的には年商1億に届かず赤字で苦戦していました。薬局の2階の8畳程度のスペースに当時社員が私を入れて4人と、パートさん3人の合計7人のチームでした。初めて私が行ってまず「君たちがやりたいことは何?」と聞きました。すると「私たちは“暇”が一番の苦痛。とにかく今の状況を変えたい」と言うのです。そこで原点に立ち返って、今我々が得意なところは何かを考えました。そしてドラッグストアには1万点以上の品ぞろえがあるので、まずは通販でも品ぞろえを増やそうということになりました。当時の通販は5000品目もない状態でしたので、これを半年で1万品目にまで増やそうとしました。そういうことを2011年の2月16日の着任後すぐに取り掛かって、生理用品、次に水といった具合にラインアップしていきました。

そのようにして、商品を新たに登録していた時に、東日本大震災が起こったのです。震災時、東京などの店舗では生理用品や水が品切れになりましたが、当社の大阪の倉庫には商品の在庫がそろっていました。その時に一気に注文が跳ね上がったのです。当時は、例えば被災地になっている公民館に商品を送る便の中にカイロを同封したりと、ネット販売のお客様はリアルと異なって顔が見えないですが、お客様の事情を想定しながら注文以上のものを出荷したりしていました。これもずっとリアルにいたことから生まれた発想です。その時に当社の通販サイトを知ってもらい、リピートにつながって少しずつ売り上げが伸びていったのです。

――その後、環境面も変わっていくのでしょうか。

当時、薬局の2階で業務を行っていたと言いましたが、隣を見るとキリン堂が買収した「サーバ」の本社ビルがありました。中は空っぽで、机や備品などもそのままでした。私は買収をしたキリン堂の立場でしたが、された側のことを考えるとこの本部は残さないといけないと思いました。このビルで通販事業を立ち上げたら、ここで働いていたパートさんたちが戻って来れる環境が作れるのではないかと考えたのです。そこで会社にお願いして中を掃除して綺麗にしてもらいました。その1週間後には稟議書を買いて移転を申請したのです。2階を国内の出荷場所にして、当時は中国をやっていなかったので、3階、4階は倉庫にしました。そこは今、2階が国内、3階が国際の出荷場所になっています。そうこうしているうちに5000件もアイテムがなかった国内のネット販売は、1年もたたないうちに1万5000件まで商品数が増えました。スタッフに「暇が嫌やろ?」と聞くと、「ここまで忙しくなると思わなかった」という答えが返ってきました(笑)。

とにかくお金をかけない

――徐々に商品数が増えて業務が忙しくなりだしたんですね。

そうです。次にスタッフがパソコンを見ながら固まっていました。聞くと、「フリーズしている」と言います。当時は「フリーズ」という言葉も分からなかったのですが、いろいろ聞くと、古い機器を使っていたのでパソコンを全部買い換えようということになり、60万円程の申請をあげました。普通は通らないんですが、事業計画を出して全部入れ替えることになったのです。すると部下は今までの重たいタイヤを脱げたので、また一生懸命仕事をするといういいサイクルが生まれます。現場の彼らとしては8畳程の狭いところから、移転して働く場所や環境も良くなっていきました。

次にスタッフを採用することになり、アルバイトさんを増やしました。もともといたパートさんがリーダーとなり、その人が業務を教えていきました。このようにとにかくお金をかけず、社員を増やさずスタッフを強化することによって利益を取るという方針でやってきました。そして利益が出た際は従業員とお客様に還元するということをテーマに仕事を進めてきました。すると、ちょうど2年目くらいにアマゾンさんからオファーをいただいたのですが、条件が非常に良かったので3チャネル目の店舗を出すことにしました。その次にヤフーショッピングにも出店したのですが、その2カ月後に「eコマース革命」で出店料金が完全に無料になったのです。

――少しずつ国内での販路が増えていくわけですね。

4チャネルになった頃、それまで毎回赤字だったネット通販の事業が黒字になりました。背景には楽天のスーパーセールが始まったのも大きいです。1日にいきなり300、400件の受注があるのです。そうなるとまた人を増やそうとなります。結局それの繰り返しです。楽天市場の月商が3000万、4000万円くらいになり、販促費用が高くなってきたタイミングで、楽天市場に2号店を作りました。着任時は売り上げが年間1億円もいかなかった国内のネット販売ですが、直近では商品数も2万近くになり、今期(2016年2月期)の第3四半期時点で累計売上高は3億6500万円となっています。キリン堂のリアルのお店に比べてもトップクラスの規模になってきました。

最終的に社長に背中を押される

――中国の越境ECに着手するきっかについて教えてください。

実はその当時、国内の通販事業も良くなったので、違う事業をしようと思っていました。そんな時です。2013年の10月28日にアリババジャパンの社長と副社長、それに当時の担当者の3人がキリン堂の新大阪の本社に来て、「年明けの3月19日に『天猫国際』という越境ECのサービスを開始しますが、キリン堂さんやりませんか」と提案がありました。2年間国内通販で奮闘してきて、ある程度軌道に乗りそうだという時に中国の話がきたのです。社員も私を含め4人のままで相変わらず忙しかったので、中国の話をした瞬間に3人とも「できません」と言いました(笑)。

実際、まだインバウンドも盛り上がっておらず、消費増税前でしたし、社内で協力が得られるわけでもありません。ましてや中国に商品を出すなんてメーカーさんが許さないというのが周囲の反応でした。そこで私一人で立ち上げることにしたのです。一人でやろうとした理由は、楽天市場を今からやってもスタッフたちには勝てません。しかし、「天猫国際」に関しては、その当時は日本でまだキリン堂にしか話をしていなかったので、ゼロベースからなら教えてもらえれば何とかなるかなという考えがありました。それに、国内では頑張っても通販で日本一にはなれないと思っていました。利益はとれても売り上げ規模では無理だと。そうした理由から中国というまったく未知のところに挑戦するのは面白いのではないかという気持ちがありました。

出店せず足 踏みすると大きな損害になる

――そこで即決したのですか?

いえ、社内調整が大変で、2013年の10月28日に説明を受けてからも話が全然前に進みませんでした。年明けの1月15日にアリババの担当者にお願いして、中国・杭州のアリババ本社に行かせてもらいました。そこでIT先進国はまさしく中国だと感じました。今回出店せずに足踏みしてしまうと、大きな損害になると感じたのです。それで日本に帰って役員を説得しました。「拡大のチャンスがある事業を私一人の小さい規模でやると、間違いなく後悔します」と。

「天猫国際」のオープンが3月19日で、それまでに2カ月しかない状況で事業計画を何度も何度も書き直しました。並行して行っていた商品登録は当初150品目でしたが、そこは16年間リアルでやっていた経験から、実際に店で売れていたり、過去売れたものなど“商品の顔”を見ながら選びました。そして、最後に社長に「1年間僕にあずからせてください。もしあかんかったら、この事業から外してもらってもいいです」と説得しました。すると社長が「好きに暴れて来い。俺が最後に骨ひろったるわ」と背中を押してくれたのです。

来期は越境ECで30億円へ

――運営を始めて、立ち上がりはスムーズにいきましたか?

いえ、半年間程度はしんどかったです。売り上げもそうですが利益の圧迫がすごかったです。EMSに支払う金額も高く、商品もなかなか売れませんでした。しかし、9月に杭州の保税区の運営がスタートしたことで大きく変わりました。そこの倉庫を使わせてもらったことで売り上げがドッと増えたのです。保税区に商品を入れると、「天猫国際」内の共同購入の枠にその商品を掲載してもらえるのです。これで9月に一気にドッと売れました。それまでは月商で1500、1600万円くらいだったのが、急に月商4000万円になりました。保税区は経費が安いのでおのずと利益も出てきます。今は9割くらいを保税区から出荷していて、残りは日本国内から直送しています。

――2014年の11月11日「独身の日」に向けての対策は行ったのですか。

6月くらいから販促を打ったり、どの商品を保税区に持って行くかなどの仕掛けをしていました。その時に出会ったのが、ジャパン ゲートウェイさんのノンシリコンシャンプー「レヴール」です。中国でノンシリコンシャンプーの文化がきそうだということで6、7、8月で準備をして、11月の「独身の日」に勝負をかけました。結果、7万5000本売れました。日本のキリン堂300店舗で3カ月分くらいかかる消費が1日で取れた計算です。「独身の日」全体では、予約販売の3日間で4000万円の予約が入り、急きょ追加の在庫を中国に送って、最終的には1億8700万円売り上げました。

――2015年の「独身の日」はさらに規模を拡大しました。

売り上げは4億5000万円でした。今期(2016年2月期)は「天猫国際」で11億円の売り上げを計画していますが、「独身の日」だけで4割を占めたことになります。また、「独身の日」に「レヴール」は18万本ほど売れました。

―― 来期(2017年2月期)の目標はいかがでしょうか。

来期は中国越境ECで売上高30億円、100万人の会員を獲得します。すでに2015年末までで30万人にせまるデータが取れています。日本と異なるのは、顧客データはすべて企業の持ち物になります。そこで次の作戦として、例えば単品メーカーさんらとタッグを組んで、顧客を絞り込んだ上で40代のお客様だけに直接販促をするといったことを共同でやっていければと考えています。

◇プロフィール

伊藤雄喜(いとう・ゆうき)氏 1995年に大学を卒業後、同年にキリン堂に入社。その後、店舗運営部に配属。2002年以降店舗運営部兵庫エリアマネージャー、同部大阪エリアマネージャー、同部スーパーバイザー、営業企室長を歴任。2011年に新事業開発部長に就任し、現在に至る。

◇取材後メモ

キリン堂のECの足跡を見ていくと、ネット販売を成功させるのに必要なのは、小手先のテクニックや知識ではなく、個人の圧倒的な「情熱」ではないかと思わせられます。現場の叩き上げの伊藤氏が着任した当初は「ITのIの字も知らなかった」そうです。それでもすぐに品ぞろえの拡充を進め、事務所の移転や機器の刷新などに動き、従業員のやる気を高めます。越境EC開始に際しては、自らが業務を引き受け、社長を説得してスタートさせてしまい、昨年の「独身の日」には4億5000万円を売り上げ、世間を驚かせました。伊藤氏の情熱が続く限り、同社のECは拡大を続けるのではないか。どうもそんな気分になってしまうのです。

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