コロナ禍でDX化の日米格差が拡大
1月にオンライン開催された全米小売業協会主催のカンファレンス「NRFリテールズ・ビッグ・ショー」と、全米民生技術協会主催の技術見本市「CES」の2大イベントでは、小売業におけるDX化の日米格差の広がりや、ニューノーマルに対する意識の違いが浮き彫りになったという。イベントに参加したトランスコスモスの柏木又浩常務執行役員デジタルトランスフォーメーション総括責任者が語る、日本の小売りや通販会社が知っておくべき欧米企業のDXの現状とは。
コロナ以前のデータはすべて無駄になった
欧米では新しい購買行動が定着
─NRFなどに参加されて感じたことは。
欧米のリテールテックは日本よりも3年くらい進んでいるという共通認識があると思いますが、コロナ禍でその差はさらに広がったと感じました。NRFでは、“ニュー・ショッピング・ビヘイビア(新しい購買行動)”がキーワードのひとつでした。欧米では2020年に、コロナの感染拡大が日本とは比べようのないほど深刻で、ライフラインである小売業を中心に変化を余儀なくされたため、タッチレス化が急速に進みました。
NRFのあるセッションでは、「ECは10年分を8週間で経験した」と言っていたくらいで、小売り企業が将来に向けておぼろげに計画していたものを、手作りでいいから1週間で作らなければいけないという状態に追い込まれたのだと思います。
─どのような事例がありますか。
例えば、オンラインで注文して店の駐車場まで行くと店舗スタッフが車のトランクに商品を積み込んでくれる「カーブサイドピックアップ」というサービスが浸透しましたが、アプリがないと店側はサービスを提供できませんので、ウォルマートでは6日間でアプリを作ったといいます。買い物が制限される中、スーパーマーケットの駐車場で商品を受け取れるカーブサイドピックアップや、EC購入商品を実店舗で受け取れるBOPIS(ボピス)が進化しました。とにかく、タッチレスで行うにはデータ入力が不可欠で、事前に登録しなければサービスは受けられません。欧米ではロックダウンによって普段の生活ができなくなり、人が動く場合はすべてデータ登録が必要になりました。否応なく個人が自分のデータを企業側に提供しなければならず、それが新しい購買行動の始まりとなり、彼らの“ニューノーマル”のベースにあるわけです。
─2000年の創業ですが、そもそもイー・ロジットを設立した狙いは。
EC企業の物流を受託するという事業目的があり、その際に既存の企業(角井社長の実家の物流会社である光輝物流)で行うよりは新しい体制で取り組んだ方が良いというアドバイスをいただきました。ECはスピード感などが全く違っていて、既存の物流では対応できないと考えました。
─少なくともこれまでは、日本の小売り企業はそこまで進化せずに済んでいます。
日本の消費者も「アマゾンでの買い物が2割くらい増えたな」とか、そういう感覚はあっても、欧米のように企業側に個人のデータをそこまで提供する状況にはなっていません。そうした状況の違いにより、日本と欧米のリテールテックの差が一段と広がりました。
─小売り以外はどうでしょうか。
日本でもエンターテインメントの領域ではデータ登録が進んだのではないでしょうか。観客数や来場者数に制限を設けてコンサートを開催したり、テーマパークを開園することで、「すべての条件をクリアしてでも入りたい」と思う人たちが、能動的に個人情報を登録しています。このようなことが、すべてのカテゴリーで起こったのが欧米と言えます。
─設立以降は、どのような道のりを辿ってこられたのですか。
当時、無料で登録できるECサイトがあり、2000社ほどが登録されていて、そのサイトと提携して自動で申し込みができてイー・ロジットと契約できるような取り組みなどを行いました。規模の大きな企業は非常に少なく、小さいところばかりでした。
─オンライン売り上げなども相当伸びたのでしょうか。
もちろん、ECの伸び率にも差が出てきています。米国におけるECビジネスの消費者への浸透率は2019年までは年平均16%の伸び率でしたが、20年は1~3月期の3カ月間で35%伸びたと言われています。
タッチレス化でデータ爆発
─変化を迫られた企業側の得たものは。
欧米ではアプリ活用によるタッチレス化でデータ登録が当たり前になったことで、“データ爆発”が起こり、企業側は大量の顧客情報と行動・購買データを手に入れました。一方で、パンデミック以前のデータはすべて無駄になったと欧米企業は考えています。なぜなら、コロナ前とは完全に消費志向や消費行動が変わり、新しく取ったデータの方が価値が高いからです。欧米では、過去のデータを捨て、すべてのデータを取り直すという作業が一度に起こりました。
─日本の企業であれば、過去データも大事にしそうですね。
過去を捨てるということを学んだ彼らは、次のステージでは従来とは違うことをしようとしか考えていないと思います。日本では大きな災害などが起こった時もそうですが、前の状態に戻そうとする傾向が強いですよね。コロナも、あと1年くらいしたら以前の状態に戻ると信じている人が大勢いると思います。過去のことを考えている人たちがDX化を進めるのと、先のことだけを考えている人たちがDX化を進めるのではどうしても差が出てきますよね。
─コロナで受けた影響の違いは間違いなくありそうです。
そうですね。日本でも在宅勤務が進んだことで、地方や郊外で暮らす新しい生活スタイルに移った人もいますが、欧米はもっと極端で、今までの仕事がなくなったりして、生活や価値観が180度変わった人が多いことも影響しています。また、欧米ではロックダウンなどを経験して消費者へのアプローチ手法も変わりました。当然ながら外出機会が極端に減ったことで街中の広告を見ることもなくなり、メディアとしての価値も変わりましたが、それを最大のチャンスと欧米人はとらえています。
─物事が大きく変化するときこそチャンスも大きいということでしょうか。
もちろん、コロナで直接的な影響を受けた業種は倒産なども相次ぎましたが、従来は取れなかった量のデータがすべてのカテゴリーで獲得できたことで、消費者の嗜好性を知るということに関してはこんなに前進した1年はなかったと感じているはずです。これが、次のキーワードである“ハイパーパーソナライゼーション”につながります。これは、大量のデータ獲得とAIの活用によってパーソナライゼーションがもう一段進化することをさします。
─どういう発表があったのでしょうか。
NRFの中で発表された調査では、パーソナライゼーションされたサービスに対する消費者の満足度が80%を超えたと言います。これには少し驚きました。日本ではパーソナライズされたレコメンドなどに喜びを感じたことがあるでしょうか。日本の場合はパーソナライゼーションというとリターゲティング広告の印象が強いと思います。企業目線ではなく、消費者に喜んでもらえるパーソナライゼーションのあり方というものを、当社でも研究を始めたところです。
日本はコロナ禍でDXがもっとも進まなかった国
共感が最大のキーワード
─「CES」で注目されたキーワードなどはありますか。
1月にオンラインで開催された技術見本市「CES」では、“コレクティブディスプレイスメント”というワードが話題になりました。これは、「集団移動」とか「集団変位」などと訳されるもので、コミュニティの変化は個人の変化よりも大きく作用することを意味します。例えば、ECで何かを買うときに、自分の欲しいものリストの中から買うよりも、SNSなどでつながるグループのマイクロモーメントの方が消費行動に影響すると言います。極端に言えば“共感”が何よりも大事で、外出もままならないコロナ禍では、これまで以上に自分が身を置くコミュニティのマイクロモーメントが影響力を持った1年だったと言えそうです。
─コロナ禍では新しいコミュニティとの出会いもありそうですね。
コロナ禍の欧米で、リアルからオンラインにニーズが移って大きく伸びたのはフィットネス分野と教育分野でしょう。自宅にいる時間が増えたことと、体の抵抗力を高めるためにフィットネスに取り日本はコロナ禍でDXが組む人が増えましたし、それを見越した企業は成長しています。ヨガウエアブランドの「ルルレモン」が、鏡型デバイスを使ったオンラインフィットネスを展開するミラーを買収したのが良い例で、アパレル企業がデバイスの会社を買うというのは今一番正しいアプローチだと思います。
自由な時間が増えたことで何かを学ぼうとする人も増えました。有名ギターブランドの「フェンダー」は20年に、ギターのオンラインプログラムで90万人の有料会員を獲得し、ギターとベースの販売数も大きく伸ばしたと言います。「ルルレモン」のミラー買収も含め、コンテンツビジネスとしては大成功で、消費者の新しいライフスタイルを理解した上で、物売りだけでなくコンテンツも提供することでビジネスチャンスをつかみました。
─「集団変位」というキーワードにもつながるのでしょうか。
繰り返しになりますが何を売るにも“共感”が最大のキーワードで、フィットネスもオンライン教育も同じプログラムやコンテンツに取り組むコミュニティがあります。そうしたコミュニティを取らないと今後は勝ち残れません。過去に戻らず前に進むことで顧客への新しいアプローチ手法や事業のチャンスが生まれます。
日本でも“コロナを機”にという話題は多かったと思いますが、コロナ前とマーケットが明らかに変わったと日本の企業がどれくらい思えるかが、これからの成長に影響してくるでしょう。世界の主要国において、コロナ禍でDXがもっとも進まなかった国は日本だとも言われています。デジタル領域では相当遅れをとったと認識しなければいけません。
オンラインでの接客が定着
─日本でも緊急事態宣言下の店舗休業でEC強化の流れは加速しました。
店舗スタッフがオンライン接客などを通じてECチャネルに貢献することが増えましたし、そうした取り組み自体も定着してきています。小売りのDXを進める際、ただ単にデジタルツールを導入すればいいわけではありません。当社が日本での独占販売契約を結んでいるオンライン対面接客ツール「HERO」の良いところは、デジタルと人の力で結果を出せることです。自分たちが扱う商品のことをよく知っている販売スタッフがチャットや動画などを活用し1to1でオンライン接客を行えます。
私自身がこれまでTSIなど事業者側にいてECのコンバージョン率改善に取り組んだ際、数字が10~20倍になることなどありませんでした。それが、人の力を介することで、日本でのコンバージョン率の改善幅は欧米よりも高く、平均20倍程度という成果が出ています。改めて、日本の接客レベルは高いと感じています。
─日本の方が改善幅が大きいというのは意外ですね。
そうしたことを考慮すると、日本のDX化は欧米とは違った路線となる「テクノロジー+人」で取り組んだ方が成果が出やすいのではないでしょうか。キーワードは“ヒューマンコマース”になると思います。
定価で売ることがより重要になっていますが、ECチャネルは単品買いの傾向が強く、消費者は単品であるほど安く買いたくなります。「HERO」を使って接客をしながらスタイリング提案を行うことで、定価の商品が売れたり、セット率が高まることで利益も出やすくなります。実店舗がコンバージョンの場からエンゲージメントを高める場に変わっていく流れは引き続きありながら、「HERO」などのツールを使ってOMO化が加速すると、実店舗はコ
ンバージョンの入り口にもなります。
柏木又浩(かしわぎ・またひろ)氏
青山学院大学経済学部卒。数々のファッション企業やメディア、エンタテインメント事業のデジタル戦略プロデューサーを経て、2012年TSIホールディングスに入社。2014年グループのオムニチャネルEC事業、デジタルマーケティングを統括するTSIECストラテジー代表取締役社長、2016年TSIホールディングスデジタル担当執行役員を経て、2020年4月にトランスコスモス常務執行役員・リテールコマース総括責任者、21年4月にデジタルトランスフォーメーション総括責任者に就任。
◇ 取材後メモ
柏木常務はTSIなど事業者側にいた時から、リテール・EC界隈では日本の数年先を行く欧米の事情に明るく、海外の優れたマーケティングツールなどをいち早く日本でトライアルする姿が印象的でした。その柏木氏は、コロナを機に「欧米のDX化は日本のかなり先を行ってしまった」と危惧しています。ロックダウンで人々の行動が制限され、アプリを介して膨大な量の個人データを企業側が手にしたことが日本との大きな違いのようですが、コロナ禍を経て欧米人の価値観が大きく変わったことにも注目されています。今後、サービスベンダーの立場で日本の事業者にどんな提案をしていくのかが気になるところです。